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2007年 10月 13日
ほぼ日刊イトイ新聞という有名なウェブサイトの中で、手相観のマーコさんという人が読者の手相からたましい年齢を鑑定するというトピックがある。ちなみに、たましい年齢というのは、その名の通りに「たましい」の年齢、つまり、自分というものの基盤となる年齢のことだそうだが、今回はそのことではなく、マーコさんの鑑定コメントの中にあったことについて考えてみたい。
音楽的な才能があるかどうかが気になっている女の子に対し、「音楽活動する際に、それ用のアーティスト名を持つといい」と言っていたのだ。そうすることにより、「グンと自由になって、抜群の才能が開花するでしょう」ということである。 抜群の才能が開花するかどうかは人によりけりだけれど、「グンと自由になる」かどうかと言われれば、わりと多くの人がそうなのではないかと思うし、私は断然その口であると思う。 今日私は、初めてブログに文章を書いている。 これまでは、同じ「ひびのことなど」というタイトルでホームページを作成し、そこに書いていた。 その中で、自分のことをbpと名乗っていた。 日常生活の一部としてあるものの2つの頭文字を取って作った名前だ。 ものすごく思い入れがある名前ということでもなく、その時に適当に作ったものだったのだけれど、それから数年たった今では、何かを書いている時や、書くことについて考えている時などには、bpという、概念というか、思考の形式が浮かび上がってくるようになった。 というより、書くことについての自分の考えやら方向性やらにbpという名前が付いたというか。 本名で書いている場合にはどういうことになるのかは分からないが、少なくとも、私の場合には、そこに含まれていることが邪魔をするように思う。 自分では自由に書いているつもりが、そこに含まれているものに沿うように書いてしまうのではないかと思う。 それは、本名がふせてあることによって違う誰かになることが出来るとか、そういう類いのものではなく、例えば、既に何かが書いてある紙の上に(たとえそれを書いたのが自分自身であったにせよ)書き加えるのと、真っ白な紙に書き始めるのとでは、書きあがったものの印象が変わる、というようなことだ。 人によっては、書きかけのものの上にも、どんどんと新しいものを書き加えられるのだろうが、私の場合には、真っ白な紙のほうがいいみたいだ。 「それ用の名を持つと、グンと自由になる」とは、そういうことかなと思った。 実は、今さっきまで、ブログに何かを書くということについて何故だかとても緊張していて、いつものように書けない感じがしていたのだけれど、bpという名前について考えているうちに、どんどんと気持ちが楽になってきて、これまでホームページで書いていた時の雰囲気で書くことが出来ている。 グンと自由になっている。 それ用の名前というものの効果というのはすごいなと改めて思った。 ところで、エキサイトでブログを開設するに当たって取得した私のIDはbp1219だ。 1219という暗号みたいな数字をくっつけたのは、ID作成に「3文字以上で」という制約があったからだ。 bpは2文字だから、全く別のものを考えるか、何かを付け足さなければならないことになる。 調べてみると、ほとんどのブログが3文字以上(中には4文字以上というのもあった)で、最小文字数の制約がないブログを一つ見つけたものの、bpは誰かが既に取得してしまっていた。 その結果がbp1219である。 多くの方がこういう経験を持っているだろうと思う。 仕方がないと思いつつも、名前(IDとは言え、それはほとんど名前と同じである)を変えるというのは妙な気分である。 とりあえずニックネームとしてbpを確保したので、自分の中ではこれまで通りbpとしてやっていこうとは思うのだけれど、何だかややこしい気分になりそうな気がしている。 #
by bp1219
| 2007-10-13 02:47
| ひびのこと
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