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2008年 11月 04日
以前にアメリカのHBOで放送されていた「Six Feet Under」について書いたことがあったが、私はそのドラマの登場人物の一人であるデイビッド・フィッシャー(David Fisher)がとても好きだった。
先日、この番組の挿入歌を歌っている歌手のアルバムを聞いていたら、何曲目かでその曲が流れてきた。 「あっ、なつかしいね」などと思い、静かに聴いているうちに、無償にデイビッドに会いたくなった。 そして、デイビッドに話したいことがたくさんあるなあ、、、と思った。 デイビッドはゲイで、職業は葬儀屋である。 葬儀屋でありながら、いや、葬儀屋だからこそなのか、仕事ぶりはビジネスライクに徹し、企業の定義に基づき、利益を一番に考えて行動する。 その延長線上的に、妙に冷たいところもあるが、その一方で優柔不断なところがあったりで、ボーイフレンドが言うことには何でも従ってしまったりもする。 こうして書き出すと、さして良さそうな人には見えないが、これらの、どちらかと言えば短所の数々のその延長線上にデイビッドにしかない良さがあるのだ。 デイビッドのセリフの中で、彼の性格を最も良く現し、それがために私が最も気に入っているのがある。 ボーイフレンドと観るのだと借りてきた映画のタイトルを見て彼の兄が、「あれ?それ、嫌いな映画だって言ってなかったか?」と問うたのに答えたセリフだ。 「キース(ボーイフレンドの名前)が観たいって言うから。キースのこととなると、何でもかんでも"Agreeable"になっちゃうんだよね、なぜか」 "Agreeable"というのは、「喜んで同意する」という意味の形容詞だが、私はずっと、デイビッドが作った造語なのだと思っていた。 "Agree(賛同する)+Able(可能)"で、「何だって賛同できちゃう」という甘い匂いがぷんぷん漂う何とすばらしい形容詞を作ったのだろうと思っていた。 しかし、残念ながらこれは造語ではなく、辞書にも載っている正式な単語だと後で分かったのだけれど、それはそれとしても、この言葉は、そのままデイビッドであると思うくらい彼の性格を良く現している。 ダラダラと文句やら愚痴を並べ立てても、デイビッドなら、大抵のことはうんうん聞いてくれる。 適当にうんうんと相槌ちを打っているのとは違い、聞きながら話している人の気持ちを考えているうちに、だんだんと本当に賛同する気持ちになり、心からうんうん言ってしまっているような感じのうんうんである。 心にポツポツと開いた小さな穴へ丁寧に詰め物をしてくれるようなうんうんだ。 だから、時々デイビッドのことを思い出す。 思い出すとまた、心の小さな穴が埋まっていく。 テレビドラマの主人公を思い起こして話し相手になってもらうなどという妄想をするのは馬鹿げているのだろう。 しかし、子供の頃には、多くの局面において、本などの中の現実にはいない人物によって支えられていたように思う。 それが大人になったからといって、彼らの支えが不要になったりはしないようにも思う。 大人になり、出会う人の数や経験が増えるにつれ、空想の人物たちは、実在するけれど近くにはいない人だったり、死に別れしてしまった人に取って代わっていくのかもしれない。 これらに共通するのは、手で触れることが出来ない、ということだ。 今ここに存在しないもの。 物理的には存在しないが、それでも、それがそこにいるのをはっきりと感じられるもの。 存在しないものの存在感。 子供であれ大人であれ、こうした存在感によって支えられている部分というのは大きいように思う。 デイビッドは、私にとっての存在しないものの存在感の一つだとういことだ。 誰かが言っていた言葉を聴いていてふと思ったことだが、存在しないものの存在感というのは、自転車の補助輪のようなものかもしれない。 その人は、存在感の話をしていたわけではないのだけれど、「スイスイと自転車に乗れるようになった子供は、補助輪がそれまで、後輪の脇にあったことなど忘れてしまう。けれど、そのことが忘れさられたからと言って、子供が再び自転車に乗れなくなってしまうことはない。」というようなことを言っていた。 存在しないものの存在感というのは、自分がこんな風に支えられていると思う以上の大きな支えとなっているのかもしれない。 そして、存在しないだけに、自覚症状がない場合は多いだろう。 デイビッドのこともまたすぐに薄れていってしまうのだろうと思う。 今さっき書いたことと矛盾するかもしれないが、所詮はテレビドラマの登場人物だ。 毎日の生活の中で少しずつ少しずつ記憶の隅のほうへ押しやられるだろう。 けれど、埋まった心の小さな穴は埋まったままだと思う。 新たな穴がまた開くかもしれないが、一度埋まった穴は絶対に開かない。 こうやって、改めて考え、書き出してみると、とてもすごいもののような気がしてきた。 今でも貴重な宝のようになっているものも含め、出来る限り、存在しないものの存在感を感じて大切にしようと思う。 それが空想の出来事であれ、過去には実在していたものであれ、通りすがりの人の一瞬のやさしさという存在であれ、それが今は「感」としてあることをきちんと感じていたいと思う。
by bp1219
| 2008-11-04 00:59
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