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2008年 02月 02日
観てみたいなと思いつつ、何となくほったらかしていた映画であるが、近所の図書館(*1)に置いてあったので、それならばと思い借りてきた。
予想をはるかに超えた、とても良い映画だった。 音や光がとても良かった。 夏の日本の家屋の中を、裸足で歩く時のミシミシいう感じとか、電車の駅のホームや車内に流れるアナウンスの感じとか、電車の揺れる音や、中でぼんやりたたずむ主人公の女性の顔に当たる日差しの感じとか。 あの、独特な「日常」の雰囲気がそこかしこにあった。 朝起きて、電車に乗り、仕事に行き、また電車に乗り帰宅する、というような、良い意味にも悪い意味にも、ふと気がつくといつも同じ場所に立っているような気分になる、あの雰囲気が漂っていた。 一つ一つのことを黙々とこなし、前に進んでいるはずなのだけれど、どこか立ち止まっているように感じる。 輪の上を歩いて、同じ場所に戻ってきてしまったように感じる。 息苦しくもあり、安心でもある、あの独特な雰囲気が漂っていた。 すごく日本だなあと思った。 日本好きな外国人の友達が何人かいるが、彼らに見せたいなと思った。 これが日本なんだよと言いたいと思った。 監督は台湾人の侯孝賢である。 台湾の人が撮ったから、こうなったとか、ああなったとか、そういうことを考えるのはあまり意味がないことなのだろう。 日本人が撮る場合にも、日本人ではない人が撮る場合にも、それぞれに「日本とはこういうモノ」という物差しがあり、それを強調して撮っても、それを超えようとして撮っても、結局、何だかよく分からないモノが映っていることになるのだろう。 そういう意味で、「誰が撮ってもこのように映る」というような撮り方が出来るというのは、素晴らしいことだと思う。 「地球のとある場所に、こんな街並みがあって、こんな感じで人々が暮らしています」ということほど、多くの広がりを見せるメッセージはないだろう。 全編に渡り日本での撮影であり、セリフも全て日本語なのだけれど、その中で、ちらっちらっと台湾が出てくる。 フリーライターである主人公の女性が興味を持って調べている「江文也(Jiang Wenye/こう ぶんや)」という、台湾生まれで、日本に長いこと暮らしていた作曲家である。(*2) 彼について、というか、彼のことを調べている主人公の動きが映画のベースとしてあり、物語性のない映画の内容の(もちろん、人間の物語はふんだんに描かれているわけだが)ひとつの軸となっている。 映画の中では、「こう ぶんや」「こう ぶんや」と日本語の発音で彼の名前は連呼される。 私はたまたま、イングリッシュ・スピーカー用のDVDを観ていたから、(英語の)字幕をつけっぱなしにしておいたところ、そこでは、「Jiang Wenye」という中国語発音の表記になっていた。(*3) それで、あれ?「文也」というのは日本語っぽい名前だけれど、もともと台湾の名前なのか、日本に渡ってきてそういう名前に変えたのかとか、そんなことを考えながら映画を観ることになった。 先に書いたように、日本というのはこんな感じというような雰囲気が漂っている映画の中で、日本のことを考えながら、一方で台湾の人のことを考えるというのは、自分が住んでいる大地の先にあるものを感じる感覚があり、輪の上を歩いて、結局は同じ場所に戻ってくるのであれ、途中にはいろいろなものがある、というようなことを思ったりした。 主人公の女性が、両親と話す内容にも台湾が出てくる。 彼女のボーイフレンドが台湾人だという設定で、彼女は彼との間の子供を妊娠している。 彼と結婚する気はなく、シングルマザーとして育てていくつもりであることを両親に報告するのだけれど、それは文字通り「報告」であり、相談ではない。 本人は、「ある程度という感じではあるものの自立はしているし、自分で決めたことだから何とか産んで育てていく」気であり、両親は、「ある程度という感じではあるものの自立はしているし、自分で決めたことだから何とか育てていくのだろう」とは思うものの、ポツポツと相手の男性のことを聞き出したりする。 その「感じ」は(話がまた戻ってしまうが)日本のそれだと思った。 少なくとも、私とその家族は何ごとにつけ、あんな感じである。 その距離感、相手を子供(或いは親)と一人の人間との境界線辺りで扱う感じ。 そこに漂う、静かで、決して悪い雰囲気ではないのだけれど、どこか重い感じのする空気とは対照的に、「しょっちゅう電話をかけてくるよ」と彼女が描写する台湾人の彼の電話の向こうの家族の様子には、色で例えるなら赤をベースに金箔が舞っているような、騒々しい、ガヤガヤわいわいとした人の声が聞こえてくる。 カラッと澄み渡る空気の中を、メッセージが直球で飛んでくるような感じだ。 ここでもまた、映画の中にぼんやりと日本の夏やそこに住む家族を懐かしんでいた私の意識の中に、その先で、つながるような、つながらないような感じで存在する、別の地で暮らす家族の風景が送られてきた。 観るたびに、印象の変わる映画なのだろうなと思う。 自分の心理状態や生活状況の違いとか、幾つか年齢を重ねる前と後とかで、いろいろと変わるのだろう。 たぶん、自分の経験が深まっていけばいくほど、見えてくるものが増えるタイプの映画なのだろうと思う。 或いは、経験が深まるにつれ、見えていたものが消えていくタイプの映画でもあるのかもしれないと思う。 (*1)私の住むバンクーバーの中央図書館には本当になんでもある。 日本語の本もたくさんあり、ふと思いついて検索すると、「こんなものまで!」というような感じで大抵は手に入る。 CDやDVDもかなり豊富なコレクションであり、ヨーロッパやアジアなどの作品も数多く揃えてある。 税金の最も有効な使い方の一つであると思う。↑ (*2)映画の中で、ベルリンオリンピックの芸術競技に参加して入賞した云々とあり、オリンピックと作曲と何が関係あるのかと思って調べてみたところ、面白いことが分かった。 1912年のストックホルムオリンピックから1948年のロンドンオリンピックまでの合計7回の大会で、絵画、彫刻、文学、建築、音楽を種目とした「芸術競技」という競技があり、スポーツを題材にした芸術作品を出品し、採点によって順位を競っていたということである。 江文也は、1936年大会の際に日本人として「音楽(作曲)」の種目に参加し入賞したのだ。 ちなみに作品名は「台湾の舞曲」で4位入賞だった。 (フリー百科事典「ウィキペディア」より) 下の写真は、本文とは全く関係ないが、香港で見かけた鉄橋である。 今年(2008年)の北京オリンピックにむけてか、オリンピック開催地がずらっと書かれている。 これによると芸術競技が競技として認められていたのは、 (1)1912年ストックホルム (x)1916年(中止) (2)1920年アントワープ (3)1924年パリ (4)1928年アムステルダム (5)1932年ロサンジェルス (6)1936年ベルリン (x)1940年(中止) (x)1944年(中止) (7)1948年ロンドン ↑ (*3)ウェブサイトでいろいろ見ていたら、Joang Wenyeという表記のものもあった。↑
by bp1219
| 2008-02-02 10:00
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