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2011年 07月 09日
佐野洋子と言えば、どうしても「100万回生きたねこ」が思い浮かぶ。
図書館で、見たことのある猫がいると思って手に取った本が、同作者の「猫ばっか」というエッセーだった。 猫にまつわる身の回りのことを中心に書いたエッセーではあるけれど、絵がたくさんで文章が短めのものだった。 しかし、その短い文章の中に、喜びとか怒りとかが存分に入っている印象を受けた。 その喜びや怒りの具合をもう少し詳しく感じてみたいと思い、「ふつうがえらい」というエッセーを読んでみた。 それで思ったことは、作者の考え方とか感じ方というのは、ものすごく首尾一貫しているのだなということだった。 同じ匂いや重みがどの本にも漂っていると思った。 それで更に思ったことは、絵本(や或いは童話)からの方が、佐野さんの感じていることがより伝わってくるということだった。 現代の事柄について具体的に語られた「ふつうがえらい」からよりは「猫ばっか」、猫のことばかり話している「猫ばっか」よりは「100万回生きたねこ」から、というように、文章がより短く、具体的でなくなればなくなるほど、なぜか、佐野さんの話がよく分かるような印象を受けた。 「ふつうがえらい」では、そこに漂っている匂いや重みを文章が邪魔をしているように思った。 その大きな理由は、比較論が多いからだろうと思う。 これこれのようなことを言う人がいるが、どれどれという言い方をする人の方が好きだとか、ふたまたかけられても自尊心を保とうとする女は、包丁をふりかざす女より負けているとか、という展開の話が多い。 そして、作者の好まない人の話の方がより具体的なのである。 見方によっては、世の中に物申し、許せないことはぶった切る潔さのようなものが感じられなくはないが、そこに、好む人の話が書き添えられていることにより、潔さが失われてしまっている。 友達と無駄話をしている時、誰かの行動を批判した後に、自分や自分の気に入ってる人の良さを付け加え、自分の正当性を強化しようとしてしまうことはままあるように思うが、そのようなおしゃべりをした後の気持ち悪さに似ていた。 と言いながらも、読んでいて嫌な気持ちになったりはしない。 それはきっと、作者の喜びや怒りというものが、とても正直で奥深く、そして、普遍的であるからだろうと思う。 だから逆に、現代の風潮に合わせて書くのではなく、絵本や物語に載せて書かれるほうが、人々の心の奥の方へ浸透していくように思った。
by bp1219
| 2011-07-09 00:07
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