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2010年 02月 18日
シャクティ(Shakti)は上ラダックにあるものの、少し離れており、レーの繁華街からバスで片道一時間半かかる。
バスは一日一本、朝の10時半にレーを出発したのと同じバスが、午後3時発で引き返してくる仕組みである。 12時頃シャクティへバスを着けた運転手や車掌は車体のメンテナンスをしたり、昼寝をしたり、現地の友達とおしゃべりをしたりで午後の数時間をのんびりと過ごす。 ここには、タクトグ(Tak Thog)という名前のゴンパがある。 西暦800年前後に建てられたものだそうで、つまり、築1200年ということになる。 確かに、それくらい経っていても不思議はない感じに古びている。 お堂が洞窟の中にあるというのが売りものとなっている。 ラダックにはその手のゴンパが多いのだが、洞窟を利用したというよりは、洞窟のまんまだということなので、是非とも行って見てみたいと思っていた。 お堂の外壁が岩を覆うように作られており、一見、岩山の縁に建ったゴンパに見えなくもないが、中へ一歩入ると、身体に受ける冷んやりした感じが石から伝わるそれであり、そこが洞窟そのものであることが感じられる。 6畳から8畳くらいの狭い空間の奥に幾つかの仏像が置かれている。 狭いながら、僧侶が並んでお経を唱えるための机や、その際に奏でるお囃子用の楽器など全て揃っている。 石の天井は低く、表面に水が滲み出ており、誰が始めたのか、そこには、たくさんのお布施のお札がぺたぺたと張り付けられている。 仏像を一つ一つ鑑賞する感じで堂内を一周し、案内してくれた僧侶に礼を言って外へ出た。 中庭の壁には例によってカラフルな色合いの仏像画がたくさん描かれている。 大雑把で無邪気な感じではあるが、あまり精密でないところが返って真摯な感じのする画風である。 バスの出る3時まではまだたっぷりと時間がある。 ゆっくりと絵を鑑賞し、のんびりと山を眺めて午後の時間を過ごす。 実は、タクトグ・ゴンパへは2度行っている。 一度目はラダックへ着いて間もない11月1日。 昼過ぎに到着し、ゴンパの外の空き地で持参したお弁当を食べた後、さて!という感じで、目についたドアのところへ行くと、しっかりと鍵がかかっている。 別のドアのところでも同じように鍵が。 ドアというドアを訪ねたが、全てに鍵がかかっている。 「ジュレー!ジュレー!(すみませーん!)」と大声で叫んでみたが、坊主が出てくる気配はない。 あるドアに携帯電話の番号の書かれた紙切れが挟んであるのを発見する。 僧侶が常駐でない、もしくは、何か特別の理由で無人になっているかのどちらかだろう。 番号をメモし、道路まで戻って道行く人をつかまえ電話してもらう。 しかし、通じない。 メモが古いのか、市外番号のようなものがあるのか、理由は分からないが、兎に角通じない。 一体全体どういうことなのか、さっぱり分からない。 これまでに何度も書いた通りに、ラダックのゴンパでは、お堂の入口には大抵鍵がかかっている。 だから、坊主なり近所の人なりを探してきて開けて貰うのが常なのではあるが、ここまで人っ子一人出てこないというのは初めてだ。 片道一時間半をかけているので、出直そうという風には簡単には思えず、ゴンパ周辺をウロウロしては、手当たり次第に人に声をかけてまわる。 しかし、結局、坊主を見つけることも、坊主のいない理由も分からなかった。 途方に暮れていると、ふと、太鼓の音がした。 バスで通ってきた方向から聞こえてくる。 そういえば、ゴンパへ来る途中、やたらと賑わっていた場所のあったのを思い出す。 混んだバスの乗客のほとんどがそこで降りた。 太鼓の音はそこから聞こえてくるのではあるまいか? 祭りか何かをやっていて、坊主が駆り出されているのかもしれない。 開かぬお堂の前で待っていても仕方がないので、取り合えず、音のするほうへ行ってみることにする。 結論から言うと、音と賑わった場所は全く関係がなかった。 太鼓の音は、道沿いに建っていた小学校の生徒が、運動会か何かのマスゲームを練習するのに叩いていたものだったのだ。 来る時には気が付かなかったが、村の規模とは不釣合いに大きくて立派な学校があり、お揃いの体操着に白い綿のつば付きの帽子をかぶった子供達が、太鼓の音に合わせて、あっちへこっちへ移動していた。 小学校のある辺りから、賑わっていた場所はそう遠くないはずだと思い、兎に角、そのまま行ってみると、車が何台も止まっているのが見えてきた。 幸いなことに、賑わいはまだ続いているようだ。 辺りを見渡すと、道よりだいぶ下がったところには広々と広がった大きな畑があり、真ん中に立派な家が建っている。 どうやら、そこで何かが行われているようだ。 たくさんの人が、庭で飲み食いをしているのが見える。 臙脂色の袈裟を着て、肩から黄色い布をたらした、チベット仏教の僧侶がいたので、タクトグ・ゴンパの人かと聞いてみる。 彼らは別のゴンパから来たとのことだったが、家の中にはあちこちのゴンパから僧侶が来ているから、タクトグの坊主もいるはずだと教えてくれる。 やはり、タクトグの僧侶は、揃って、この家の行事に参加しているようだ。 それではと、足元から斜めに出た細い道をたどって斜面を降り、庭に入ってみた。 玄関らしきところに年嵩の僧侶が立っていたので、タクトグから来ている僧侶がいるかと聞いてみる。 その人自身がタクトグからの僧侶だった。 早速、自分が何のためにここにいるのかを説明し、彼がゴンパに戻るかどうか、そして、そうであるなら、お堂の鍵を開けてもらえるかどうか聞いてみる。 すると、この時点で、もしかするとと思い始めていた通りの答えが返ってきた。 葬式がこれから始まるから、4時か5時くらいになるけれどというのだ。 葬式。 先ほど言及した通り、一度目にタクトグ・ゴンパを訪れたのは11月1日である。 出かけに、宿で知り合った人が、「今日は死の日だわね」とつぶやいた。 この日はメキシコでは死の日ということになっている。 メキシコに行くと、よく骸骨の人形が売っていたりするが、それは死の日をお祝いするためのものである。 趣旨としては、日本でいうところのお盆のようなものだと思う。 であるから、決して不吉な日ではなく、そもそもメキシコとラダックにはつながりと呼べるよな関係はない。 加えて、個人的には死を忌み嫌っているわけでも何でもないのだけれど、タクトグへ到着するまでに2度、野良の死を目撃していたこともあり、なるほど、今日は本当に死の日だと思った。 葬式が終わるのは4時か5時とのことなので、お堂見学は諦めるより仕方がない。 しかし、(不謹慎なもの言いではあるが)「今日は死の日だわね」とつぶやいた彼女に良い土産話が出来た。 そうは言っても残念なことは残念なので、そのような様子で立っていると、年嵩の僧侶はいきなり私の腕をつかみ、奥に広がる庭へと引っ張って行った。 そして、近所から手伝いに来た給仕係り風の人に何やら説明し、適当に飲み食いして行きなさいと薦めてくれた。 田舎のほうを旅した人の旅行記などを読むと、結婚式やら葬式やら、身内や知り合いの間だけで執り行うような儀式に、見知らぬ旅行者を招きいれてくれるというようなことが書かれていることがあるが、本当にあるのものなのだ。 お腹はいっぱいだったので、チベットの人が日常的に飲むバター茶を頂きながら、そのようなことを考える。 招き入れてはくれても、話しかけてくるわけではなく、かと言って、いぶかしげに遠目に観察するわけでもないので、のんびりとしばらく座らせて貰い、庭の周りを散策などしながらバスを待った。 葬式は、地元の有志か誰かのものなのだろう、宗派に関係なく坊さんがかき集められているようで、山のほうからたくさんの僧侶が歩いてくるのが見えた。 点線だった列がやがて人の影となり、影はやがて臙脂色の僧侶になった。 バスがやって来た。 ******* 中庭の壁画を丁寧に眺めていると、先ほどまでお参りをしていた洞窟のお堂の中から、お囃子が聞こえてきた。 銅鑼と鐘と、何かもう一つ音が混ざっている。 中には、案内してくれた僧侶が一人いるきりだから、彼が3つの楽器を一度に奏でているのだろうか? 時折り、低くお経を唱える声も聞こえる。 ふと、俗世界に住む観光客が持ち込んだ邪悪な空気を清めているのかもしれないと思った。 決して、嫌な感じではなく、素直にそうなのだろうと思った。 私は相当に邪悪なのか、僧侶は長いことお囃子とお経を続けている。 あまり長く居座っていると、お清めを終わらせた僧侶が出てくるのに鉢合わせてしまうと思うのだが、何となく去りづらく、いつまでも、ダラダラとお囃子を聞いていた。 私がそこにいることがお見通しのように、お囃子はいつまでもいつまでも続いた。
by bp1219
| 2010-02-18 05:37
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