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2010年 02月 11日
ティクセ(Thiksey)・ゴンパでは、11月5日、6日(2009年)の2日間に渡って、グストル(Gustor)と呼ばれる仮面舞踊の祭りが行われることになっていた。
チベット仏教は、ニンマパ(ニンマ派)、サキャパ(サキャ派)、カギューパ(カギュー派)、ゲルクパ(ゲルク派)、ドゥクパ(ドゥク派)などに分かれており、グストルはこの内、ゲルクパのゴンパで行われるものだ。 ただ、仮面舞踊は総称としてチャムと呼ばれ、例えば、ドゥクパのへミス・ゴンパではツェチュ、ニンマパのタクトグ・ゴンパでも同じくツェチュ、ディグンパのピャン・ゴンパではツェドゥブと、いろいろな宗派が行っているものではある。 ちなみに、ダライ・ラマはそのゲルクパ、2000年にインドへ亡命したカルマパ17世はカギューパである。 グストルとは、9の付く日に行われる施餓鬼供養のお祭りだ。 チベットの人が主食としてよく食べるツァンパ(大麦にバター茶を加えて練ったもの)で作った人形(ダオ)を破壊してばら撒く(施食する)ことにより、悪さを行う鬼や無縁の霊を飢餓による苦しみから供養するという意味合いがある。 11(月)も5(日)も6(日)も9ではないのは、祭りの日程がチベット暦を元にしているからである。 ラダックで買ってきたカレンダーを見てみると、祭り2日目の西暦2009年11月6日はチベット暦では9月19日となっているので、ちゃんと9がついている。 神輿をかついで街中を練歩くというタイプではなく、祭りはすべてゴンパ内で行われる。 幕開けは、この日のために中庭に面した壁に掛けられていた巨大なタンカ(仏画を掛軸にしたもの)が数人がかりでクルクルと丸められ、運び去られた後に登場するシャーマンだ。 シャーマンは、ゴンパの屋上の縁を練歩く。 そんな危ないことをするのだが、登場する前にトランス状態になっているとのことである。 或いは、だからこそ、そうしたバランス感覚が研ぎ澄まされるのかもしれない。 私は呆気に取られつつ、中庭からぼんやりと見上げていただけだが、シャーマンなだけに、彼に向けて拝む人もいる。 シャーマンが無事に退場した後は、派手なお面をつけた僧侶が入れ代わり立ち代わり2人ずつ出て来て舞いを舞う。 正面奥に並んだ僧侶が銅鑼やトゥンと呼ばれる細長いホルンのようなので囃子をつける。 よく見ていると舞いにはパターンがあり、結果としては、異なった面を付けた僧侶によって、同じ舞いが繰り返し披露されたことになる。 仮面は吉祥天女などといった守護尊の神さまを表すものがほとんどで、大体は怒ったような顔をしており、色も違っている。 細部には神さまの特色を現した飾りが付いていたりもするのだが、パッと見の造作は同じだ。 繰り返し繰り返し舞われる舞いの一つ一つの動作に含まれる意味まではわからないが、その意味よりは、繰り返しというところが、もしかすると重要なのかもしれないと思う。 神話や童話、絵本にはこの繰り返しということがよく見られるが、それらと同じような成り立ちのものなのだろう。 正直に言えば、私はこの日、宿で知り合った数人と朝早くから勢い込んでゴンパに来ていたこともあり、舞いは同じだわ、面は同じだわ、衣装は同じだわで、何とはなしに疲れ、ダレた気分になっていた。 しかし、ある程度の時間がたってくると、今度は逆に、だんだんと気持ちが落ち着き、のんびりした構えになっていった。 時には、面や衣装の細部の違いに目を凝らしてみたり、観客のほうの様子に目を向けてみたり、或いは青い空の雲を眺めていたりという余裕も出てくる。 身体の疲れと、日差しの強さ、耳に入ってくる囃子の一定のリズムとが相まって、すーっと血の気が引いていくように頭がぼんやりとし、ずっとこのまま見ていたいというような心持ちになってくる。 その感じを引きずったまま、祭りはどんどんとクライマックスへと観客を導いていく。 黒くつばの広い帽子をかぶった僧侶が出てくる。 シャクナと呼ばれるもので、若く美しい青年僧侶が担当することが多い。 その凛とした姿は意志の強い女性のようでもあり、それでいながら、とてもエロティックな雰囲気がある。 ラダックには尼さんも多いが、仮に、彼女達がシャクナをやったとして、青年僧のそれから出されるような香りは出ないようにも思う。 そうかと思えば、骸骨顔のアツァラと呼ばれる道化が出てきて、場の雰囲気に休憩を入れる。 この道化は、どこの宗派の仮面舞躍でも登場するようだが、ティクセ・ゴンパのは小坊主がやっているので体つきが華奢なことや、仮面の目の縁や口の周りにたっぷりと赤みがあることなどから、道化というよりは、かわいい顔をして酷なことをする小悪魔のような雰囲気がある。 手足が怪獣みたいで愉快なのだけれど、そういうことで気を許していると、とんでもない目にあわされるというような。 このように後で細かく見てみると、ティクセのグストルには、なまめかしい匂いがたっぷりとあったのかもしれない。 それが、繰り返しの舞いによってぼんやりしている頭を更にぼんやりとさせてしまうのだろう。 祭りの最後は、当然、ダオの破壊である。 鹿の仮面をつけた僧侶が、踊り狂った後に、ツァンパの人形をメチャクチャに滅多切りし、空高く放り投げる。 この僧侶は、儀式の後でトランス状態におちいったかのようにフラフラになり、年かさの、それでいてガッチリした体型の2人の僧侶に抱えられるようにして退場していった。 このようなことを言うことで祭りを神聖化するつもりはないのだけれど、そのフラフラの感じには、精根尽き果てたというか、手を抜かずに真剣に儀式を行ったがためのものが滲み出ていて、私のぼんやりした頭にじーんと伝わってくるものがあった。 私はじーんと頭をしびれさせただけであったが、霊感の強い人などだと、細切れになったダオに食らいつく悪霊の姿が見えるのかもしれない。 それくらいの気迫があったように思う。 グストルは2日連続で行われ、基本の流れは同じであるが、2日目のダオ破壊の儀式は、例のあの美しい黒帽のシャクナが行うそうである。 私は、結局、2日目は見に来なかったのだけれど、それを聞いてとても残念に思った。 きっと、鹿僧侶以上にかなりの迫力であったろう。 結局、祭りが終わったのは午後の3時過ぎであった。 朝の10時前にはゴンパに来ていたから、昼も食べずに5時間も座っていたことになる。 しかし、祭りを体感するには、それくらいの時間は必要なのだろうなという気がしている。 中庭を出ると、日が少し傾き始めていた。 ゴンパの周りでは、祭りに便乗した屋台が出ていて、若干の賑わいを見せている。 その中を、近所の子供と小坊主が取っ組み合いのケンカまがいのレスリングをしている。 後ろを振り返ると、堂々とした佇まいのゴンパが聳えていた。 鬼は腹いっぱいにツァンパを食べただろうか?
by bp1219
| 2010-02-11 05:22
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