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2010年 01月 07日
感想を書けば書くほど、そういうことだったのかな?という風に思うことになるので、何度となく書き直した結果がここにある。
映画は、コミカルでもありシニカルでもあるラブ・コメディを装っているのだけれど、観終わった後に、しーんと心に残るものがあり、それはわりといつまでも残り、自分の(或いはいっしょにいる人の)行動やら何やらを振り返り、考えをめぐらせることになる。 主人公は付き合い始めた若いカップルの2人で、彼らが破局へと向かうまでの500日を描いたものである。 棘のある言い方になってしまうけれど、男の子のほうの愛というのは、わりと市民権を持ったタイプのものだと思う。 盲目的で、一途で、素直というような。 彼が友達やら妹やら同僚やら誰やらに、片っ端から相談している様子などがずーっと映し出されるから、余計にそのように感じるのかもしれないが、一途で素直な彼の500日のほとんどは、ガールフレンドに振り回された日々だったという風にも見える。 一方で、そのガールフレンドの言動というのは、男の子の目線程度にしか描かれておらず、何を考えているのかは彼女のみが知っているということになっている。 60年代を意識した服装や、クールな考え方ものの見方、時として取られる派茶滅茶な行動、男の子よりもずっと成熟していて大胆なベッドの上での過ごし方などなどを見ていると、彼女にとっては、その500日のほとんどは、退屈しのぎの日々だったという風に見えなくもない。 別れを切り出したのは、当然、彼女のほうだ。 だから、ともすると、彼のほうに肩入れしそうになるのだけれど、よくよく考えてみると、彼女の愛というのは、さまざまな悲しみをたっぷりと抱えた、やわらかくて、みずみずしくて、こわれやすい、でも強くもある、すごいものなのではないかという気もしてくる。 とてつもなく個人的で、だから、その分、分かりにくくもあるわけだけれど。 どこかで誰かが、若い頃にはたくさん恋愛をしたほうが良いと言っていた。 人を心から愛した経験は、その後の人生の大きな支えになるからと。 彼女は、そうした経験をしてきているのかもしれない。 彼女が悲しそうなのに強そうでもあるのは、何かが彼女を支えているのかもしれない。 そして、その一方で、人を心から愛すると、その行動は、傍目には、とてつもなく自己中心的で我侭で他人を振り回しているように見えるのかもしれないとも思う。 彼女の言動を振り返ってみてそう思った。 相手のことを気遣い、相手の好むことをしようとするような余裕がなくなってしまうのかもしれない。 子供が自分の好きなものばかりを集めて遊ぶように。 その全てが無意識なように。 もちろん、それが、大人として、或いは人間として、或いは人間関係として、正しいとか間違っているとかいう問題ではなく。 ただ、単に、そういうことになってしまうものなのかもしれない。 でも、その愛が何かに転じたときには、すごい力を発揮するのだろう。 2人の最後のシーンがとても良い。 彼女の悲しみを抱えた愛が充満しているような色合いの冬の公園のベンチ。 そこは、彼が、この街で最も好きな場所として、時々2人で来ていたところである。 別れた後には、頑なな感じになってしまった彼と、ここでなら会えるかもしれない。 そう思って、彼女は時折りやって来てはぼんやりと座っていたらしい。 別れ話を持ち出したのは彼女のほうだけれど、これからも友達みたいに付き合っていきたいと言ったのも彼女のほうだったのだ。 振られたほうとしては、なかなか受け入れ難い相談である。 でも、彼女がそうしたい理由(或いは感覚)が、今では私にも少し分かるかもしれない。 その感じが彼にも伝わったのか、まさに、力を振り絞るような感じで、彼女のこれからの生活が幸せになるといいと本当にそう思うよと言ってあげることが出来た。 何とか言えたという程度ではあったけれど、でも、言えた。 そのことを言えたことで、彼は彼女を心から愛した、その存在を丸ごと受け入れたことに出来たんじゃないかと思う。 彼の愛は、そこへたっぷりとやってきた悲しみを、やわらかく、みずみずしく包み込み、こわれやすいけれど、その分強く育ったのではないかと思う。 題名にあるサマーというのは、女の子の名前だ。 妙な感じのする題名だと思っていたのだけれど、なるほど、これはまさに、彼女の500日だったなと思う。 (500)日のサマー公式サイト
by bp1219
| 2010-01-07 05:53
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