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2008年 10月 21日
周知のことだと思うが、村上春樹の本は今や世界各国の言葉に翻訳され出版されている。
それに続いて、よしもとばなな、川上弘美、小川洋子など、そして最近では角田光代が訳されているのを発見した。 きちんと調べたわけではないが、彼らを発掘したのは欧米の出版社の場合がほとんんどだろうと思う。 特にアメリカの小さめの出版社や大きくても筋のピンとした出版社。 その理由は何となく分かる。 欧米で翻訳されている作家のものを全て読んだことがあるわけではないが、先にあげた作家達のものに限って言えば、その理由は何となく分かる。 底に流れているものが、欧米のある種の作家が書くものに似ているのだ。 欧米のある種の読者が求めるもの、必要としているものに似ている。 暗闇の扱い方、その質、深さのようなものがとても似ている。 それは、日本の作家が欧米の作家の作風や文体を真似しているということではない。 そもそも、真似したところで、技術で伝わるような、伝えられるようなものではないから、作家自身がそれを持っているということだろうと思う。 私の住んでいるカナダのバンクーバーなどでは、村上春樹ならばどんな本屋にも置いてあるし、少し大きめの本屋へ行けば、よしもとばななや私が読んだことはなくとも日本人作家と思われる人のものが置いてある。 そういうのを目にすると、読者としての自分と作家とのつながりだけでなく、読者と読者の横のつながりをも強く感じることになる。 それはだぶん、言葉や習慣や見た目や、あれやこれやが違う人たちだから、そういう雑音を無視して、ダイレクトに、暗闇のところで、それを共有していることに意識がいきやすいからなのかもしれない。 そして、相手がなにびとであれ、人と人は実はそのようにしてつながっていることを再認識するからなのかもしれない。
by bp1219
| 2008-10-21 00:10
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