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2008年 10月 11日
先週書いた映画評の原作本。
映画がとても良かったので、買って長いことほうっておいたのを出してきて読んでみた。 他の映画なり本なりの感想でも書いたことがあると思うが、映画と原作本が相乗効果を持ち、そのどちらをもより面白くするという場合がある。 「西の魔女が死んだ」はそういう類の話だったと思う。 原作本を読むにあたり、私は全ての雰囲気を映画から借りた。 祖母の声音や口調、少女の痩せた体つき、家の周りを囲む木々や植物、雨の感じ、そしてその匂い。 全てを映画から借りて読んだ。 それは当然、更な状態で読んだ場合に私が作り出すはずだったものとは違っているだろうし、この優れた小説を元に、自分がどんな世界を作ったのかにも興味がないではないが、映画の力がなかったならば、これほどまでには、この小説を感じることは出来なかったかもしれないとも思う。 それは、著者の小説に力が不足しているということではなく、もともとは児童書として出版されていたというこの本の美しさとか本質を感じる力が、私には不足していると思うからだ。 そして、映画には、その不足を補ってくれる力があったということだ。 映画の中で、とても好きなシーンが3つあり、それらが、小説の中では、同じように重要でありながらも、違った意味合いになっていたのが印象的だった。 一つは、祖母と少女の魂の話。 もう一つは、祖母がタバコを吸う後姿。 そして、もう一つは祖母が娘の一言で深く傷つく様子。 魂の話というのは、先週の映画評の冒頭に書いたあの話である。 この話は、そもそも、少女がこの日祖母に尋ねたのと同じ質問「死んだらどうなるのか?」を父に向けた際、父が「何もなくなる」と答えたことが発端となっている。 このシーンは、映画の中ではしっとりと静かで、父は身も蓋もない回答により幼い娘を崖から突き落とした薄い人間という印象になっているが、小説の中では、そう答えることになったのには彼なりの誠実さがあることが祖母により認められ、それがために、父のその薄さは、薄いというよりは愛らしい滑稽さとして受け止められている。 そしてその分、しっとりとした静けさが消え、どちらかと言えば、少女に成熟した強い部分のあることが前面に出た明るいシーンとなっている。 同じように、祖母がタバコを吸う後姿と、娘の一言で深く傷つく様子は、祖母が、祖母であり魔女である前に、一人の人間であることを表現するための、彼女の繊細さや、じっとうずくまっている感じを表すシーンとして非常に重要であると思ったのだが、小説の中では、祖母のタフさを表すものとして別の表現方法が取られていた。 映画と小説のどちらが良かった悪かった、どちらにリアリティがあったなかった、ということではなく、その両方を重ね合わせることで、一人の人間の良い意味での複雑な多面性を見て取れるように思う。 父は、薄っぺらでもあり誠実でもあり、少女は傷つき易いとともに、その傷を癒す力をも持ち合わせ、祖母はタフであると同時に繊細なのだ。 それは、同じ人間が状況の変化によってその時その時に見せる顔というよりは、或いは、見る人によって違った顔に見えるというよりは、幾つもの顔が同じ時に同時に現れるということなのかもしれない。 この3つのシーンの表現方法が違っていたことにより、そんなことを思った。 話の展開は映画と原作本はほとんど同じで、語り手はどちらも祖母の孫である少女なのだが、映画のほうでは、祖母の考え方やモノの見方、 その言葉や表情や動作というものにとても力があり、そこから溢れ出てくるものがとても魅力的だったのに対し、小説の方では、少女の心の動きに自分を合わせていたように思う、という違いもあった。 少女と同じ目線で祖母を見て、そこからの視点で、その暖かさを存分に感じていたように思う。 祖母が祖母から一人の人間になっていく感覚が少しずつ育ち、私も彼女の姿を目で追いながら、少女とともに、祖母の下で魔女の修行をしたいと思った。 少女は結局、途中から一人で修行を続けることになるのだが、「続けることによって、祖母との糸が切れないようにしていたのかもしれない」と語っている。 その「感覚」を私は共有できたと思う。 修行を続けることにより、祖母の存在を、(私自身の実際の祖母という意味ではなく)西の魔女であるあの祖母の存在を、私も感じることが出来るようになるのだろうと思った。 この感覚こそ、この小説の、そして映画の最も大きな核だと思う。 こうして書いてみると、映画と小説は、話の展開が全く同じであるというだけで、かなり違った雰囲気を持って作成されていたと言えるかもしれない。 しかしながら、その核となる部分が同じであるというのは見事だと思う。 映画評のところでも書いたが、優れた児童書や神話などには、人の心を癒す効果があると言われているが、この、祖母と繋がっている感覚を持つこと、そしてその感覚を誰か(に共感するのではなく、誰か)と共有するというのには、そうした効果の大きなものの一つであろうと思った。
by bp1219
| 2008-10-11 00:10
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