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2008年 09月 20日
ここのところ、若い女流作家の小説がたくさん出版されているように思う。
小うるさい奴だと思われるのを覚悟で書くと、彼らが書いたものをわりに敬遠している。 それは私が根性の曲がった頭の固い年寄りだからだということは重々承知はしているが、リズミカルな口語的文体を読むのに抵抗があるし(どういうトーンで読めばいいのか分からない)、泣きどころがあるのも読んでいて落ち着かないのだ。 (これは作家が若い年寄りに関係ないが、帯に「号泣しました」と書いてある本が多いのはなぜなんだろう?) ということなので、若い作家の筆頭者である三浦しをんのものも素通りしていたのだけれど、あるキッカケがあって読んでみたところ、とても面白かった。 食わず嫌いはいけないと心から反省した。 しつこいようだが、その文体に落ち着きがあったのがとても良かった。 読んでいると、固めの文章特有のカクッカクッという音が響いてきて心地良い。 それに反して、物語の流れはじっとりと重く、冷房のよく効いていない薄暗い部屋にいるような、光の届かない深い海の底にいるような感じだった。 周りがよく見えなくて、暑苦しくて、窒息しそうで、体にネバネバしたものが張り付いてくる感じがあった。 それでいて、どこか冷んやりともしている。 そして、そのネバネバをひきづりながらも、読了後はすっきりした気分になっているという不思議な小説だった。 ここは誰もが注目する箇所だと思うが、設定が面白い。 登場しない登場人物(主人公と言ってもいいかもしれない)がいて、それがもちろん、題名の中にある「彼」なわけだが、その「彼」についてをさまざまな人が語るという具合になっている。 語っている人々は、必ずしも、「彼」と直接に関わりがある(或いはあった)わけでもなく、「彼」と深く関わった人の友人であったり何だったりする場合もある。 そして、どの人も一様に少しずつズレていて、箍が外れているみたいに見える。 読んでいて、ほいほいと、気持ちを共有できるとは思えない状態の人ばかりなのだが、実は深く共有しているような気もしてくる。 自分の心の中にある鐘が鳴り出しそうな恐怖感があった。 人々が語るのを聞いていて、その不幸は(と言い切るのはおかしいかもしれない。幸せだけれど災い、という場合もあったと思う)、そしてそれがために箍が外れているのは、「彼」のせいなのだろうか?とふと思う瞬間があった。 人々の話から、だんだんと「彼」の人物像が出来上がってくるわけだが、それほど突拍子もない感じの人ではないように思った。 最もまともなのは「彼」なのでは?とさえ思うこともあった。 しかし、注意深く耳を澄ませていると、「彼」から無邪気に発散される邪気のようなもののたてる音が聞こえる。 それに引き寄せられて、そういうものを吸収しやすい体質の人々が周りにどんどんと集まってくるのだろうなと思った。 しかし、実は、こういうことは巷にあふれているように思う。 無邪気に邪気を発している人というのは、たくさんいると思う。 もしかすると、自分もそうなのかもしれない。 そして、その邪気を吸い込んで、少しおかしくなっている人もたくさんいると思う。 もしかすると、自分もそうなのかもしれない。 「彼」を語る人々は、特殊な職業についていたりとか、妙な過去があったりとかで、一般的な感じのしない人が多い。 それが余計に箍の外れた感じを強め、また、ほいほい共感できると思えなくしている効果があると思う。 でも、それは逆に、そうしておかないと、実は深く深く気持ちを共有していることに気が付いて、自分の心の中にある鐘を鳴らしてしまう人が続出するからかもしれない。 前述した通りに、実際に、私はあやうく鳴らしそうになってしまったのだから。 この小説は起承転結がきちんとしており、最後に、人々は、外れたなりに、ズレたなりに、「彼」から発散される邪気を消臭することになっている。 その消臭方法や消臭後の感じは、人々のもともとの外れの度合いと、どれだけ「彼」の邪気を吸ってしまったかの度合いによってさまざまで、中には、消臭剤の代わりに別の匂いをふりかけていたり、邪気を消す代わりに自分自身を消してしまったりと、ハッピーエンドとは言いがたいようなケースもあった。 しかし、自分の周りに漂っていた邪気を消した、関わりを断ち切った、という点においては、どの人も逞しく、たぶん、だから、読了後にすっきりとした気分がおとずれるのだろうと思う。 このような小説を書けるということは、著者もまた、邪気を吸いやすい体質なのだろう。 或いは、自分が邪気を発散させる側であり、それを自覚しているという可能性もある。 そういう意味では、著者にとっては、小説を書くということは、邪気を消臭する一つの手段なのかもしれない。 誰かが、物書きというのは命がけで書いているのだ、というようなことを言っていた。 その人は、例えば哲学者とか、何かを生み出してそれを文章に置き換える人全般についてを言っていたのだと思うが、小説一つを取ってみても、今回のようなものを読むと、本当にそうだなと思う。
by bp1219
| 2008-09-20 00:10
| Books
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