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2008年 03月 08日
長く勤めた事務所が閉鎖されたため、ここ半年ほど仕事を休んでいたが、当時の上司が私のために蒔いておいてくれた種のうちの一つが実り、就職先が決まった。
働き始めて3週間ほどになる。 有難いことに、先方(つまり現在の職場の人)から電話をもらい、簡単な面接を受け、給与などの条件をEメールでやりとりし、採用はあっ、という間に決まった。 本来であれば、小躍りして喜ぶべきことだ思うのだけれど、正直に言えば、「何をやっているんだか、、、」という気持ちのほうが圧倒的に強い。 しばらくは(今でも)友達などに報告する気持ちも起きず、どうしても報告しておかなければならない数人の人に伝えた後では、「おめでとう!」やら「良かったね!」などと声をかけてもらっても、笑顔がこわばってしまっていた。 私が今抱えているこの「何をやっているんだか、、、」という気持ちは、覚えておかなければ、何度も同じことを繰り返すことになるだろう。 そう思いつつも、「仕事をしている」という通常の状態に戻った日々の生活の中で、その薄暗い気持ちが少しずつ消えてきているような気がしているので、その背景や理由をここにきちんと書いておこうと思う。 「何をやっているんだか、、、」というのは、自分自身に向けられたものであり、もちろん、職場の人達とは全く関係のないことだ。 彼らは本当に気持ちの良い人ばかりで、その点に関しては何の不満も抱いていないどころか、幸運なことだと思っている。 逆に、薄暗い気持ちが消えてきているのは、彼らといっしょに仕事をさせてもらっていることに心地良さがあるからだろう。 これから書く内容は、いわば自分に向けた反省文のようなものであり、その根源は全て私にある。 その点についてははっきりと明記しておかなければならない。 半年前に閉鎖された事務所には8年以上勤めていた。 その途中で、何度も転職を考えた。(*1) 考えながらもダラダラと何もせずに過ごし、結局は、「事務所閉鎖」という究極な出来事に便乗することになった。 それはそれで良かったとは思っている。 そのダラダラした年月の間に、どういう環境で仕事をしたいのかということがはっきりとしてきたからだ。 簡単にまとめると、次のようになる。 (1)職種はこれまでずっとやってきた(好きではないが得意な)事務職でもかまわないが、 (2)会社や団体がやっていることに賛同できること(自分が理解できることを行っていること)。 (3)できれば、それが公共の(一般市民の)実生活に役立っていること。 (4)働いていて満足感があること、社会とのコミットメントを感じられること。 (5)現地法人の会社(団体)であること。 この5ヶ条を見ても分かるように、それはキャリアとかスキルとか報酬とかいうことよりも、どういう風に生きたいのか、という意味合いを濃く含んでいる。 物質的なものからというより精神的なものから満足感を得たい、という風に気持ちが変わってきていることは、5ヶ条が出来上がった大きな理由になっているだろう。 誰かが「適職と天職はバランスをとっていなければならない」というようなことを言っていた。 これらは2つの並んだ車輪のような関係であり、どちらか一方が大きすぎたり(或いは小さすぎたり)すると、くるくると同じ場所を回転し続けるばかりで、きちんと前に進んでいかない。 だから、どちらの職も自分にとって同じくらいの大きさを占めるようになっていると、生活が心地良いものになるというのだ。 適職とは、私の例を取ると事務職だろう。 好き嫌いは兎も角として、得意であり、それで生活を支えることの出来る(食べていかれる)仕事のことである。 天職とは、損得なしにやりたいことで、お金を払うことになってでもやりたいことをさすそうだ。 そうである上に、誰かの役にたったり、誰かとつながれることをいうのだろうと思う。 私の場合には、書くこと、旅をすること、本を読むこと、映画を観ること、という、これがないと生きていかれないと感じる項目から選ぶことになるが、どれも、職業になるようなものではない。 唯一、書くことは、誰かとつながれる可能性があるが、その域には全く達していない。 この辺りの天職における欠落感、無意識のうちの欲求不満というのも、上記のような5ヶ条を考えるようになった理由になると思う。 天職がほぼ個人的な喜びになってしまっているため、適職の部分に天職の要素を少しでも入れ込めてバランスを取りたいのだろう。 しかし、(想像がつくと思うが)私の新しい職場は5ヶ条のほとんどを満たしていない。 繰り返しになるが、それは、会社がおかしなことをしているとか、大したことをやらせてもらえないとか、そういう意味では全くない。 5ヶ条は、あくまで私の個人的な観点から作られたものであり、会社に対して向けられた評価とかいうものではない。 ここで、細かく、新しく勤めることになった会社の事業内容について説明しても仕方がないので省略するが、5ヶ条をふまえた上で考えていた「こういう感じの環境」というのとは、かなり違った状況になっている。 というよりも、8年以上勤めた以前の会社とほぼ全く同じ環境で働くことになってしまったのである。 何年間も転職を考えていたのに実行出来ず、事務所閉鎖に便乗して何とか会社を去り、 たっぷりと時間が出来、さあ、いよいよ、大きく方向転換しようではないか!というところのはずが、結局、同じ環境に舞い戻って来てしまった。 一体全体、この半年もの間、私は何をしていたのだろうか? 5ヶ条に合った仕事環境を探すために、いろいろと計画していたことはあった。 長年やってきた「一般企業での事務職」からは大きく方向転換することになるから、頭では「これだ!」と思っていても、自分が果たして本当に新しい環境でやっていけるのかには不安はあった。 だから、ボランティアやアルバイトとして始めてみることを考えていた。 それでしばらく体を慣らし、徐徐に深入りしていくのがいいだろうと思っていた。 目星をつけていた会社や団体にコンタクトを取り、行動は開始したものの、それらの計画はことごとく失敗した。 当然のことながら、ボランティアだろうがアルバイトだろうが、簡単にヒョイヒョイと出来るもの(させてもらえるもの)ではないから、やりたいと思っていたことが出来なかったということもあるし、自分の持つスキルで出来るものがなかなか見つからなかったり、その中から見つけて何とかやってみた幾つかのボランティア活動はどれもピンとこなかったり、何か華やかなものを期待していたわけではもちろんないのだけれど、やっているうちに、自分に合った方向が見えてくるとか、自分が役に立てる環境が分かってくるとか、そういう感覚を得ることが全く出来なかった。 というよりは、だんだんと訳が分からなくなっていき、頭の中が真っ白くなって何も考えられなくなってしまったのだ。 もうひとつには、オットとの兼ね合いということもあった。 5ヶ条とそれが出来上がるまでの私の心の動きについては、大方のところまでは彼も理解しているし、賛成してくれていることである。 けれど、それは私の中では日に日に大きくなっており、彼の理解しているそれとの間にはギャップが生じつつあるように感じていた。 そこをきちんと説明し、納得してもらい、5ヶ条を遂行するにあたって生じる生活上の変化についてを認めてもらうという作業を私はしていなかった。 ことごとく失敗した計画の中の幾つかには、そこが原因だったモノがある。 つまり、気持ちばかりが先走っていて長期戦の心構えがなく、直ぐに現れる何らかの結果や形を求めてしまっていた、ということなのだろう。 そして、共同生活をしている人への説明、話し合い、その人の心の土台作りをするという作業を怠っている上に、それを回避するために、「目の前にあるやりたいことを諦める」という訳の分からないことをしていた、ということなのだろう。 そうしたグチャグチャとした気持ちでいる時に、就職の話がふと沸いてきたのだ。 半年以上も前に(元上司が)蒔いた種が、いきなり目の前で芽を出し始めた。 「褌を締めなおして」とか、「捻り鉢巻で」とかいうシュールな状況を一生懸命頭の中に思い浮かべ、何とか、このグチャグチャした状況を抜け出そうともがいている時に電話が鳴ったのである。 そして、褌は締めなおされることなく、鉢巻きは巻かれることなく、私は元の環境へと戻って行くことになった。 だから、「何をやっているんだか、、、」なのである。 半年もの間、いったい何をしていたのだろう?とは思うが、無駄なことをしていたわけではないとも思う。 自分は全く準備が出来ていなかったということを知り、5ヶ条云々の前にしなければならないことがあるのが分かりかけたのだから、 それは大きなことだと思う。 問題は、それが分かりかけたのに、元の環境、つまり、楽なほうに流れたというところにある。 そう。 だから、「何をやっているんだか、、、」なのである。 これが、「何をやっているんだか、、、」の、背景と理由であるわけだけれど、さて、これから、私はどのようにしていけばいいのだろうか。 考えようによっては、それほど悲観的にならなくてもいいのかもしれない。 挫折感を味わったことはいいことだ。 これをまず忘れないこと。 それから、生活が変化することについての土台作りをすること。 ボランティアでも何でもいいから、あせらずに、自分が出来る仕事を探すこと。 自分に合った仕事、自分が役に立てる環境を探すこと。 これは、仕事しながらでも出来ることだ。 そして、現在の仕事場の中にも、そうしたものがあるかどうか、探すこと。 結局、一からやり直しということだけれど、それはそれでいいかもしれない。 分かっていてやり直すのと、分からないでやっているのでは、何かが少し違うだろう。 遠回りをすることは決して悪いことではない。 (*1)しつこいようだが、こちらも同様に、転職の理由は8年勤めた会社に何か原因があったとかではなく、あくまで、自分が別のことをしたいと思っていただけのことである。↑
by bp1219
| 2008-03-08 00:11
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