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2010年 04月 13日
仲良しの友達の日本からの国際電話で、「日本は、今まで周って来た国々全部に負けとる!!」と、15分くらい息巻いていたということがブログに書いてあった。
何が負けているのかというと、人が生きるパワーのようなものがないと感じるのだそうだ。 どんな仕事でも、あればドロドロになって働くというような力がなく、それでいて、お金がないお金がないと萎んでいると、そういうようなことらしい。 そのような熱い会話をした翌日の休養日には、エマーム・リザという、イスラム教のエマームのお墓を訪ねていた。 エマームとは大預言者モハメッドの弟子のことで、12人いる。 リザはその8番目とのこと。 1200年から1300年くらい前に亡くなった人である。 お墓と言っても、ものすごく広く、598,657平方メートル(約18万坪)。 ゴルフ場の半分くらいだろうか。 非常に有名なお墓だそうで、毎日多くの人がお祈りにとやってくる。 イスラムの正月ともなると、その数は一千万人にものぼるとのこと。 東京の23区の人口が870万人くらいだから、すごいことである。 ここで、寛平ちゃんはリザに対して次のような感想を持ったようだ。 「一千万人からの人の気持ちを、やわらいであげたり、落ち着かせてあげたり、皆に安らぎを与えてくれたり、多くの人の気持ちを受け止めてあげているのが凄い。」 つまり、その存在自体が人々の安らぎになっているのは凄いということだろう。 もちろん、リザさんがかつてやってきたことが千年以上に渡って言い伝えられ、その存在感が生まれているわけだけれど、今現在、お墓を訪れてお祈りをしている人々は、実際には、本人には会ったことはなく、直接何かをしてもらったわけではない。 それでも、気持ちが通いあうものなのだろうということは私にも分かると思う。 寛平ちゃん達が訪れたこの日、300人くらいの女性が一斉にお祈りをしていたそうである。 それを見て、寛平ちゃんや物知り通訳のハミッドは涙したということだ。 私も以前に、それは300人ではなく、たった一人の女性だったが、彼女がお祈りをする姿を見ていて、涙がぽろぽろと落ちてきたという経験をしたことがある。 ある作家が、本を書くことで読者とつながっているのを実感するというようなことを言っていたが、たぶん、リザの存在というのは、そういうのと同じことなのだろう。 そのような存在を前にした時に、お祈りする側にまわるのではなく、それを受け止める存在のほうのことを考えるというのが印象深かった。 寛平ちゃんの言動というのは、もともと謙虚なところはあったが、日に日に、お坊さんみたいになってきていると思う。 アースマラソンを始めたきっかけは、それはそれであったであろうが、走るという行為を毎日続けるうちに、そんな風に変わってきているのだろう。 たぶん、自分がお祈りをする側や受け止める側の両方になって、いろいろなものとつながっているのを日々感じているのではないだろうか。 そして、ちょうど、国際電話の友達に息巻いた後で、人々の気持ちを受け止めるものの存在がはっと見えたということなのかもしれない。
by bp1219
| 2010-04-13 23:00
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