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2009年 06月 30日
先週、ニューヨークの隣りのペンシルベニアに入り、アメリカ大陸横断も残すところ500キロを切った。
比企さんとの合流は7月の第2週あたりを予定しているようである。 あと10日あまりだ。 太平洋をヨットで渡り、カリフォルニア州のロング・ビーチに到着したのが3月の頭。 それから、まる4ヶ月をかけて大陸を真横に突っ切ったことになる。 その間には、寛平ちゃん達はさまざまな様子を見せる自然を体験するとともに、さまざまな人達からの応援を受け交流してきた。 アメリカに住んでいる、或いはたまたま旅行で遊びに来ていたという日本の人が一番多かったようであるが、新聞を読んでやってきた地元の人や、走っている寛平ちゃん達を見かけて、何だろう?と思って近づいてきた人など、いろいろだった。 私自身は、当然、彼らに実際に会ったわけではないが、毎日、ブログを読んでいると、印象深い場面もたくさんあり、思い出すと懐かしい気分になる人もいる。 アメマのおっさんはその内の一人である。 彼が最初に登場したのは上陸後1ヶ月くらいで、アリゾナとかニュー・メキシコの辺りを走っている頃だったと思う。 背景がまだ砂漠だった。 奥さんは日本の人のようだったが、本人は日本語はほとんど全く解さないようでもあるし、第一印象としては、アースマラソンをどこかで聞いてきた彼女に連れられて、何だかよく分からないけれど、面白そうだから応援に来たという雰囲気だった。 ところが、それから数日して、ロッキー山脈を越えた辺りで再び彼は登場する。 その時は一人で、「(寛平ちゃん達を初めて応援した)あの後、2人でラス・ベガスの別荘に帰り、そこから奥さんは飛行機で家に帰ったのだけれど、自分は犬がいるので、一人で車で帰らないといけない」というようなミステリアスなことを言い残し、寛平ちゃんとアメマを叫んで去って行ったのである。 その後、寛平ちゃん達はニューヨークに向かって東へ東へと移動しているわけであるが、ふとすると、このアメマのおっさんがビールの差し入れを持ってひょっこり現れることになる。 ビール以外にも、車に汚い字でアメマ!とか、寛平!とか書いた垂れ幕を付けた車で登場してみたり、寛平ちゃん達の走る通り道に応援の言葉を書いた看板を設置したりという、子供じみたサービスを付け足していた。 しかし、この子供じみたサービスというのは、シンプルなだけに、やっている人の気持ちが素直に伝わりやすい行為だとも言える。 黙々と走る毎日を送っている人々にとって、本当にうれしく励みになることだろう。 その証拠に、アメマのおっさんのものらしき車が横を通り過ぎると、それまで、くたくたの様子で走っていた寛平ちゃんが、狂喜乱舞して後を追うような場面もあった。 このアメマのおっさんは、こう言っては何であるが、外見は非常に地味な感じであるし、その態度はいつも落ち着いており、寛平ちゃん達と話す際にも、おちゃらけた様子になるということが全くない。 自分のことはあまり話さないので、どこに住んでいるのかとか、どういうことで出没を繰り返すのかとか、だいたい仕事に行っている様子もなく、いったい何をして生計を立てているのかなど、全く分からないのであるが、取り合えず一つは別荘を持っているようだし、生活は一応大丈夫なのだろうというようなことになっている。 いずれにせよ、彼の静かな佇まいには、大きな好感を持てる。 ひと工夫して誰かを楽しませようという心の余裕が見られるし、先ほど、彼の応援方法について、子供じみたというひどい表現を用いたが、垂れ幕作りにはそれなりの時間も手間も要するであろう。 道端に看板を出すにあたっては、予め、市の許可をきちんと取っていたらしいから、そのような応援を繰り返す中には、どこかしら、粘り強さのようなものも感じられる。 彼の中にあるそうした要素が、寛平ちゃんに興味を持った理由の一つとなっているのかもしれない。 先週の木曜(6月25日)、以前にも書いた、毎週、寛平ちゃんが生放送出演している、ラス・ベガスのラジオ放送局のトークショーに、このアメマのおっさんが登場した。 それにより分かったことは、本名はリックさん(奥さんはルリコさん)であることと、一番最初に車を止めて寛平ちゃん達を応援したのは、偶然からだったということの2つだけだった。 相変わらず、自分のことはあまり話さない。 それはそうと、最初の応援が偶然だったというのは、非常なる驚きである。 アメマのおっさん曰く、それは本当に、正真正銘の偶然だったということだ。 アースマラソンのことは奥さんが知っていて、この辺りを走っている人がいるのであれば、それは寛平ちゃんかもしれないということで、車を止めたようである。 前述した通りに、おっさんには、当時、何だか事情がよく分かっていない感じはあったけれど、全くの偶然だったのであれば、それはそうだろうと思う。 しかし、そういうことよりは、偶然から始まったことに対して、ここまでのめり込むというのは、なかなか興味深い人だなと思う。 トークショーの中でのアメマのおっさんのコメントによれば、既に7回は応援に立ち寄っているということだ。 今現在、寛平ちゃん達が走っている近く(アーミッシュの人達が住んでいる地域だと言っていた)にいると言っていたので、このまま、ニューヨークでも現れるつもりなのかもしれない。 ここまで書いていて、ふと思ったが、そういえば、7回はともかくとしても、応援に2度現れる人というのはわりにいたように思う。 中には、400キロだかの道のりで、それをやった女性もいた。 私自身は、車の運転が出来ないので、物理的に協力者がいないとアメリカへの応援は難しいが、公共の交通機関の発達している場所でなら、ふらふらと一人ででも応援に行ったかもしれないと思う。 そういう意味では、アメマのおっさんが興味深い人であると言えるとともに、寛平ちゃん達のやっていることというのは、多くの人の無意識のうちの何かを大きく投影しているということなのかもしれない。 何か、人を強く引き付ける力があるのだろう。 ここ数日、アップダウンの激しい道をずっと走っているということもあり、寛平ちゃんはかなり疲れた様子を見せている。 アメマのおっさんが登場した25日のラジオのトークショーでも、コメディアンらしからぬ反応の鈍さが伝わってきたくらいだ。 そのぐったりした中で本人が言っていたことではあるが、今、ここで故障を出すわけにはいかないから、速度を大幅に落として、慎重に走っているということだった。 大西洋を横断するヨットの中では、それがどれほどの休養になるのか、或いはもっと過酷になるのか、よく分からないが、少なくとも、足だけは休められると思うから、兎に角、ニューヨークまで、何とか無事に走って行って欲しいと思う。
by bp1219
| 2009-06-30 23:15
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