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2009年 01月 10日
夫婦の関係において(或いはどういった関係においても)、言ってはならないことというものがあり、また、してはいけない行動というものがあり、そうしたものを相手に向かって吐き出してしまった場合には、その関係は終わるだろうと一般的には思われている。
或いは、物理的には終わらないにしても、終わったも同然のものになるだろうと。 これまで、そのように言う人にたくさん出会ってきたし、新聞記事やら雑誌やら本やらにも、そのように書いてある。 実際に、吐き出してみたり、吐き出されてみたりすると、(言ったほうと言われたほうとどちらも)そこから受けた傷というものが恐ろしく無限に深いことを人は知る。 だから、そのように言うのだろう。 映画には2組の夫婦が登場する。 どちらか片方の家で、酒を持ち寄って飲み食いをして騒いでいる様子が写る。 とても楽しそうで、酒が入って多少羽目を外し、踊ったり歌ったりしている。 何の問題もない、きちんとした人達だ。 4人とも理性ある成熟した大人に見える。 しかし、2組のうちの一組の夫と、もう一組の妻とが浮気をしていることがすぐに明かされる。 そして、どちらの夫婦も、先ほど見たような円満さとは違った関係にあるらしいこともすぐに明かされる。 パーティーがお開きになり、それぞれの夫婦が普段の生活に戻った途端、言い争いが始まる。 その様子が本当に自然である。 途端の言い争いであるにもかかわらず、パーティーでの各人のバカ騒ぎぶりがフェイクであったようには見えない。 あれはあれで、それぞれが楽しんでいたのは確かなのだろうということが分かる。 しかし、その間に起きた幾つかの不満ごとが理性を突き破って顔を出すのである。 その不満は、日頃の不満をたずさえて、本来の大きさの数倍ものサイズとなって顔を出す。 その言い争いが、萎んでいく姿もまた自然である。 セックスをして流してしまったり、一人が無視する形で無理矢理に流したり、或いは一人がきちんと謝って流したりする。 結構な言い争いをしていたのに、ふと次の瞬間に見事に冷静になってみたり、それがまた激しい言い争いに戻ったり。 そういうことを延々に繰り返すさまには、感情を爆発させながらも、どこかで無意識に舵を取っているようにも見える。 そういった夫婦の関係性の中で、感情を剥き出しにしていたのは、実は、4人のうちの一人だけである。 夫に浮気をされている立場の妻だ。 彼女は、見た目は細身でキュートな感じもする美しい人であるが、家の片付けなどもあまりよく出来ず、アルコール中毒気味でもある。 かわいい2人の子どもとは仲良くやっているものの、おねしょしたふとんをそのままにしていたりと、ダメなお母さんであるし、夫が浮気しているかもしれないという疑いを持ちつつ、まさか、それが友達カップルの妻だとは思っていない。 夫の浮気相手をすっかり信用して、相談を持ちかけたりもするのだ。 4人のうち、世間一般的な目からして、最も恥ずかしい感じのするこの妻は、酒が入り、感情が高ぶってくると、夫に向かって、激しく罵りの言葉を浴びせかける。 しかし、その言葉は酔って滅茶苦茶ということはなく、酒が入ったから罵り始めたというのでもなく、大声で言いたいことがあるから酒を飲むのだろうと思わせるものがある。 はっきりとした主張のある、しかし、だからこそ、鋭い刃のような言葉を次々に発する。 そのようなことを繰り返しながら、ある日、とうとう、夫に告げられてしまう。 「僕は浮気相手を愛している」と。 一方で、妻が浮気をしているほうのカップルには、このような言い争いがない。 静かな怒りが水面下をゆっくりと流れている感じがするだけである。 結論を言ってしまうと、感情剥き出しのアルコール中毒気味の妻のもとへ浮気夫は戻ることになる。 浮気相手を愛しているとまで言った男が、子どものことや世間体のことではなく、ただ妻のもとへ戻りたいと思って戻ってくるのである。 逆に、浮気妻は、浮気のことを知っても別れる気のない夫のもとを離れていく。 この結末は、驚くべき信じられない展開であるとともに、合点の行くものでもあると思う。 その理由は幾つかある。 まず、アルコール中毒気味の妻は、いくら激しい罵りの言葉を発していても、そこにきちんとしたメッセージを込めていたこと。 自分を最も恥ずかしい状態に落とし込みながらも、メッセージを伝え続けたこと。 夫と別れる別れないの判断が、痛みを受け入れた上で自分の感情に素直に誠実に従ったものであったこと。 そして、奇妙に聞こえるかもしれないが、浮気夫が、浮気相手を愛していたこと。 遊びとか、妻への仕返しとか、そういうことではなく、立場的に良い悪いは別として、人間としては自然な形で人を愛したということ。 妻のもとへ戻る際には、その愛が、妻との間にまだあることをきちんと感じたこと。 それを素直に妻に伝えたこと。 反対に、結局別れることになったもう一組のカップルには、これらのことが一切なかったということ。 相手への思いはあるものの、自分を傷つけずに、曝け出さずに、それが伝わること(相手が言葉なく理解すること)を期待していたこと。 もちろん、これは、単に一つの映画であり、単に一つのケースであり、夫婦間の関係というものは、カップルによってさまざまである。 だから、罵りの言葉を浴びせ合ったことで別れていくカップルもあれば、何も言わなかったことにより再びつながっていくカップルもあるのだろう。 しかし、それでも、冒頭に書いたようなことだけではない夫婦の関係というものがあるのだなと、しみじみと思うことにはなった。 そして、夫婦の関係を続けていくためには、そうした助言によって深い傷を負う(負わせる)ことを避けて通るというよりは、傷を負いつつも、恥ずかしい思いをしつつも、それを乗り越えるような、人間的な強さが必要なのだろうということも、改めて思うことになった。 そういう意味では、夫婦の関係というのは、続けていくことがタフだというだけでなく、非常に危険なものなのかもしれない。 ただ、それを思う存分にやれた後には、きっと、人として生きたという感じがするものなのだろう。 We don't live here anymore 公式サイト
by bp1219
| 2009-01-10 00:30
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